NPO法人 だっことおんぶの研究所

抱っことおんぶの豆知識 抱っことおんぶの豆知識

おんぶ紐とへこおび

おんぶ紐とへこおび

古来、日本では背中に赤ちゃんを背負う「おんぶ」が育児の主流でした。それをするための道具が「おんぶ紐」です。おんぶひもは日本中に様々な種類があり、その数は40以上です。兵児帯など衣服の帯として使っているものを流用したり、おんぶ専用にさらし布をおろしたりしていました。
海外でも背中に赤ちゃんをのせていますが、多くは「腰おんぶ」と呼ばれる、おしりの上の低い位置に赤ちゃんを乗せて布で身体に巻きつけるものが起源になっています。

 

日本のおんぶ紐

さらし、帯など

日本人がおんぶをしてきたことは述べましたが、具体的にどのようにおんぶしたかは詳しくわかっていません。平安時代から描かれた絵巻物には着物の中に赤ちゃんが入っていることが多く、その中がどうなっているのかはよくわかりません。絵巻物からわかることは、以下のような点です。

  1. 赤ちゃんが裸か裸に近い格好で養育者の背中の肌にくっついている
  2. 養育者はおぶった上から着物(衣服)を羽織って、上から帯を締めることで落下を防いでいる

肌と肌をあわせるようにおぶっていたのは主に東日本の極寒地で、ほとんどの地域では紐や帯状のものを用いていたようです。沖縄などの南方地域では、着用しておぶう専用の衣服があったようです。

明治時代以降の写真などをみると、紐状のものでおぶっている姿が確認できます。おぶうための道具について調査されたのは明治時代の後半以降ですが、その時にすでに40以上の呼び名や形状が報告されています。多いのはさらし状の細長い布を子どものおぶい紐として決めて使うというものですが、一部にはおんぶするためにわざわざ仕立てていた地域もありました(園田 2019)。
兵児帯は薩摩藩の少年兵が着用に使用していた帯で、それをおんぶに用いることがありました。もともとはおんぶだけに使用していた物を抱っこでも使えるように、少し長くして製品化されたものがあります。

成型おんぶ紐

帯にリングや背あてを付けた成型されたおんぶ紐は1930年代に登場します。当時は帯や紐が身近にあったのか、成型されたおんぶ紐は生活に余裕がある人たちが購入したようです。第二次世界大戦が終わる1940年代なか頃には「子守帯」という言い方で徐々に広まってきたようです。当時は東京(関東)はもちろんのこと、大阪(関西)にもたくさんの子守帯メーカーがありました。
成型されているといっても、肩ひもに背あてが付き、腰紐にDカンが付けられていました。DカンとはアルファベットのDの形状をした金属製のリングで、平成10年近くまでは金属製のものと後に開発されたプラスティック製のものが混在していましたが、徐々にプラスチック製に変わっていきました。
昭和40年になるとラッキー工業が赤ちゃんの足を入れる部分を成型し、特許を取得しました。

 

海外のおんぶ紐

Back Carry(バックキャリー)

海外、特にアフリカを中心にした人々と日本人は体格が違います。アフリカを中心にした人々は骨盤が前傾しており、日本の人たちに比べるとおしりが出っ張っています。赤ちゃんをそこに乗せて、布で巻くことによって赤ちゃんが安定して座ることができます。このようなおぶい方を一般的にBack Carryと呼びます。赤ちゃんは月齢が進むにつれて徐々に前傾姿勢をとり、脚を前方(養育者の進行方向)に投げ出すような姿勢をとると言われています(川田 2014)。

カンガでおんぶする

中世ヨーロッパでは、大人が椅子や籠を背負って、そこに赤ちゃんを座らせたり立たせたりして運ぶ様子が絵画に描かれています。これらもBack Carryと呼ばれます。
もともと背中に赤ちゃんをせおう文化はないので、かなりアクロバットなこともなされていたようです。

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onbuhimo

1970年代には日本のおんぶ紐が輸出されていましたが、それらが欧米で独自に進化してOnbuhimoと呼ばれるようになりました。Onbuhimoの定義ははっきりと定まっていませんが、腰ベルトがない成型された抱っこひも(SSC)を指します。主におんぶをしますが、使い方によっては胸の前で抱っこすることもあります。

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